日本の茶業界の方なら知っている方も多いとは思いますが、昔は台湾で作られた日本茶が日本へ輸出されていた。

FBを通じて知り合いになられた方とのメールのやり取りから始まり、ちょっとだけ調べてみたので途中経過です。

日本茶

台湾では日本向けにやぶきたの煎茶が作られていた時期があります ※写真は静岡の山間地、品種はやぶきたではありません


この記事はやぶきた限定だと思って下さい。
今も台湾からの輸出はあるのかもしれないが(調べていないので定かではない…)李登輝さんが台湾の総統になった時期に台湾から日本へやぶきたの緑茶が輸出されていた。
これは日本の機械を導入し、台湾式緑茶ではなく日本の針型の煎茶としてちゃんと作られたものだ。

実はうちの近くにその機械を導入し、作っていた農家が二軒ほどあり、うち一人は知り合いの方。
最初は、日本人が持ち込んで現地の方を雇って作っていたのかな?と思っていたのだが、話を聞いてみると台湾の方が静岡の改良所からやぶきたの苗を買い、台湾に植えて輸出用として作り出したという。

しかし、台湾における烏龍とは違い、日本は機械化が進み、コストの削減にはある程度成功していたので単価も安く、次第に輸出は苦しくなり知り合いの方はやぶきたをやめ、台湾の品種に植え替えた。

もう一人の方は存じ上げていないが、大渓という場所に2ha程やぶきたを植えていたらしい。
しかし、恐らくその方も既にやめているだろうとのこと。

他に龍潭という場所で煎茶を作っている工場が2~3軒今でも残っているらしいのだが、恐らくそこは台湾の品種で作っているだろうとのこと。。

日本の統治時代は割と長かったので台湾で日本の煎茶が作られていたであろうとは推測するが、恐らくこの時代以前になるとやぶきたではなさそうだ。
やぶきたの品種登録が戦後、実際にはそれ以前から多少出回っていたとは思うが…。
しかし、大戦に負け、台湾を明け渡しており、中国から蒋介石が入り日本のものを徹底的に排除していった為、蒋介石の時代にやぶきたが入り、日本へ輸出されたとは考えにくい。

しかしそれ以前の品種や台湾品種のもので作られたものが入ってきていた可能性はありそうです…
まだまだ浅く調べたり聞いたりしただけですが、統治時代の名残や絡みは調べていくと面白そうです。

そんなこともあり、明日は台湾の茶業改良所に足を運んでみようと思います。

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