日本人ならどうしてた!?

ブログのタイトルだけ見ても「?」な部分は多いと思う。

しかし、これは僕がここ数カ月幾度となく頭の中で空想を巡らせている言葉でもある。

烏龍の萎凋行程

烏龍は本当に時間がかかります…写真は東方美人の萎凋時のもの

ブログやFBなどでも色々と日本茶と台湾における青茶(烏龍茶)に関して色々と書いてきたが、その中で何度か日本茶が先人の努力により品質の良いものを安定して作れているかを伝えてきた。(勿論その中でも上手く作れる方もそうでない方もいる)

一方で烏龍茶はどれだけ不安定要素が多いのかも伝えてきた。
日本茶では製茶工程の一連の作業をほぼ機械を通して出来、人が機械を道具として操る事で大量に安定したものを人手をかけずに作れる、製茶工程に関して人件費のコストパフォーマンスは極めて高い、海外の現場を見ればこれがどれほど凄いものなのかわかる。
しかし烏龍茶では一連の作業はほぼ人が入り、人が道具となる事が多い。

人が直接生葉に触って作業する事は、人と生葉の距離が近い為ピタリとハマッた時にはものすごいものが出来る。
しかし、その確率というものは極めて少ない。
まして、人が道具になるという事は力は一定ではない。
個人の性格もあるし、その日の気分や体調も影響し、プラスして烏龍はその日の天候などの条件にも大きく左右される。
現場に多くの人が関われば関わる程バラつきが出やすくなる、多くの人がいないと大量にできない茶であるのにもかかわらずだ。。

この問題は現地の茶農家も感じている。
年々人件費は高くなり、そして国自体も発展をとげているので、茶摘みという仕事を選ばなくても今はもっと楽にお金を稼げる仕事が増えている。
茶農家にとって茶は「命」であるが、茶摘みさんにとっては生活を支える為だけの仕事であり、他に良い給料をもらえ、安定して働ける場所があればそこに流れていくのは当然の流れだ。
大きな産地に行けば今は海外からの労働者も多くみかける、茶農家にとってなるべくコストを抑える事を考えれば安い労働力は喉から手が出る程欲しいのが実情だおる。

こういった一連の流れがコストの安い海外で台湾茶を作る理由の一つになっているのは間違いない。
人件費の問題はありつつも、製茶工程にはどうしても人手や労力がかかる。
台湾にいて烏龍の良さも悪さも見てきた、茶摘み屋さんなどは品質の高い茶を作る為に日本茶でも烏龍でも絶対に欠かせないものである。

地元静岡での製茶作業時

地元静岡での製茶、撹拌をしています

静岡での製茶作業2

こちらも静岡で製茶した際のもの

ならば…
日本人ならどうしてた!?と考えてしまうのがここだ。。
日本へは煎じ茶や抹茶、釜炒り茶などが伝わったと記憶しているが(間違っていたらご指摘お願いします…)、これが全くなかったと考え、時代はさておき現在の台湾のように福建や広東からの烏龍が入り定着していたら…

もし、このような伝わり方をして日本で烏龍が主流で作られていたら、日本人だったらこのお茶に対してどのような変化を加えたのか、それともどのような機械を作りあげたのか…
烏龍はコストがかかる茶である為に、日本でも必ずそれがネックになった筈だし、高度経済成長を経て一流国になり、賃金やコストもあがる中で同じ事をしていたらきっと消えているか凄い高級品になっていた筈だ。

烏龍の撹拌行程

自身で東方美人を作った時の撹拌時のもの ※殺青機に火は入っていません

現在の台湾の製茶を見ていてもほぼ原始的な製法に近い、勿論殺青機などの機械系は多く使うようになったのだが、人手を大幅に減らしたり、工程がオートメーション化してる訳でもない。
萎凋と撹拌という工程が入る為、オートメーション化は極めて難しいのだが…
もし、烏龍が日本に入って定着していたのなら何かしらの劇的な変化があったのかもしれない。。

それはもしかして既に烏龍茶ではなくなってしまっているのかもしれないのだが。。

こんな事を考えるようになったきっかけは恐らく日本の方から日本での烏龍や殺青機を使ったお茶などに関わって欲しいと言われてからだと思う。
基本的に日本で烏龍を作る事はレベルは勿論、コスト面でわりに合うものではない。
勉強になる事も多く、作る事には賛成なのだが、最終的に模倣ではなく、日本茶の中に烏龍の要素を取り入れて他の国では真似できないものを作らないと勝負できないと思い色々と考えていた。

そこから派生して「もし、烏龍が日本に入っていたら…」と思うようになったのだと思う。

まとまりのないブログで、締めの言葉もなく、ただの現場にいる人の頭の中の空想話になってしまい、突き合わせて申し訳ありません。
でも、最近こんな事ばかりが頭の中で巡り巡っています…。

【一緒に読みたい関連記事】