昨日から続く春茶最終日、前日のブログで報告しましたが訳あって生葉を三つにわけて工程を進めています。

今、三つ目のグループの最終撹拌が終わり、殺青までの時間待ちにブログを書いています。

萎凋の様子

店主の部屋からの見える室内萎凋の様子

昨日もお伝えした通り、アポなしで知り合いの方の製茶を頼まれました。
三つのグループにわけていますが、実際は二つの畑のもの。
知り合いの方が持ってきたものとうちが今年から管理することになり春から管理を始めた畑のもの。

うちが引き受けた畑の報告はブログでもしましたが、持ち主が高齢で管理できなくなり引き受けたもの。
徹底した畑の管理をするうちから見ると引き受けた畑は状態が良いとは言えない、でも春から管理に入り以前より収量は増した。

それでも、刈り取った生葉を見るとやはり力強さは感じない。
しかし、知り合いの方がもってきた生葉を見てビックリした。。

葉

知り合いの方から製茶を頼まれた生葉、もっても重みがないし、スカスカした感じです…

葉が薄く、そして軽い…。
もってもスカスカした感じがあり、不思議に思って相方と話をしているとやはり畑の管理の問題。
管理が悪く茶樹が弱い為、そして恐らく根が弱く力がない…。

うちでは去年の冬から殺青前の茶葉を茄歴(かれい)という竹で編まれた籠にいれる時に重さをはかって均一にしている。
そしてその茄歴を萎凋棚と呼ばれるものに置いて待機させる。
この間も茶葉の酸化(発酵と呼ばれています)は進むわけで、上下の茄歴との間に空気層があり、空気の流れる道があるのが好ましい。

知り合いから引き受けた生葉を茄歴にいれ置いてみると…隙間が出来ない。
普段自分達の畑で作った生葉を置くときには十分な隙間がとれる、勿論重量は一緒です。

茄歴の隙間

上下の茄歴との隙間なし

茄歴の隙間

通常のうちの生葉の場合は隙間あり

この状態からいかに葉が薄く、軽いかがわかる。
量をいれないと、普段の重さに届かない訳だから、一つ一つの葉の重量が少ないことを意味しますね。。

初期乾燥をいれたものをテイスティングしてみたが、茶の香りも味も薄い。
品種特徴すらわからないし、本音を言わせてもらえばこれはお茶なのか…?というレベルだった。

今現在の情報社会を見ていると仕方のない部分はあると思うが…
台湾でも日本でも、標高やブランドで茶が売れる、今回の知り合いの方は平地だが…

僕は土から勉強させてもらっているから思うのだが、高山の寒暖の差は平地ではどう頑張っても体現できないが、高山でとれるような葉を条件の良い平地で農民が畑の作りを工夫すれば季節は限定されるが近いものが出来ることは知っている。

ブログでも何回か言っているが烏龍茶は人と生葉が接する工程が日本茶などと比べると多い。
それは良くも悪くも製品になった時に作り手の個性や感性が思いっきり茶に出ることを意味すると思う、だから烏龍茶の製品としての「茶」としてのレベルには本当に大きな差が出来る。

そう考えると、烏龍というのは茶として口にいれる時に標高や地域の特徴よりも…
畑の管理と製茶の技術の方がはるかに多くでるものだと思っている、これは農薬の有無は全く関係ない。
今回他の方の生葉を触ってもやはり自分の考えは間違っていないのでは…と改めて思う。

さて…
本来昨日の朝10時から始まっている春茶最終日、今日の夜10時ぐらいには終わるとふんでいましたが、結局夜中3時ぐらいまでかかりそうです。。

これから殺青に入ります、合間に昼寝で3時間程寝れましたが結局昨日の朝から40時間労働的な感じになりました…。

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