本日は雨の為畑の作業はなし。
春茶も終わりここ何日かで契約先のティーパック作りも終えていたので、久しぶりに体を休めることが出来た。
朝起きて用事を済ませた後、昼過ぎから夜8時ぐらいまで寝てしまった…。
おかげで連日の寝不足からくる頭痛も解消されたのだが夜中の時間をどう過ごそうかと思いつつブログを書いています。
今回は春茶が終わりすぐに取り掛かったティーパック用の茶葉を取り上げます。
うちの農家では契約先に年に決まった量のティーパック用の茶葉を卸している、そしてその茶葉は一度烏龍茶として仕上げたもの砕いて細かくしていくという、質・コスト的にかなり考えられないことをする。
台湾でのティーパック作りというのはだいたい大きな業者がするものである。
烏龍の製茶工程で出た細かい生葉を業者が集め、無理やりに山積みにして自然に酸化したものをティーパックにするというのが普通の流れです。
しかしうちでは小さい農家ながらも自分達で作る。
そして、本来大規模な産地ならこのように攪拌機から出た細かい生葉で作るのだがうちでは善しとしない。
うちではこのような葉は工場の中においてある茶葉用のゴミ箱にいれ、溜まると自分達の畑に腐葉土として戻している。
ティーパックにもピンキリあるが、一般論で考えると、茶としては末端に近い商品だと思う。
一言に茶と言っても様々な市場があり、消費者もマニアックな人、普段普通に飲む人、口に入ればいい人…など拘りも違う。
以前大先生に何故ティーパックにそこまで丁寧に作った烏龍を砕いて使うのか?と聞いたところ
「美味い方がいいだろっ!」
と笑って返された、うちのお茶に対する考えからすればもっともだが恐らく一般では理解し難い部分はある。
しかしこの春茶を通して何故このようにティーパックを作るのかがわかった気がする。
うちでは市場に出れば10点満点で常に10点を獲れる茶を目指して作るし、自分が滞在しているからではなく客観的に見てもその技術や畑の管理技術がある。
その中で5、6点をとてるものをティーパックにしたらその市場では10点満点をとれる高級ティーパックになるだろう。
実はここが凄く重要では…と思った。
これは聞いた話ではなくあくまでも個人の推測だが…
要はティーパック用の茶葉というのは普通に半球状にして市場に出すものより遊び心が許される。
遊び心というと誤解を招くかもしれない、色々な実験的な作業工程をいれることが出来るということです。
実際に今年の春茶の半分程は去年の減産の影響でティーパックになったのだが作り方が日によってだいぶ違うものだった。
太陽が出て烏龍を作るのに一番良い状況の時は王道の製法なのだが、初めから明らかにティーパックにすると決まっていたものは外で撹拌作業を何度も入れて室内では攪拌機一度で済ませたり。
逆に外では何も動かさずに室内で軽い撹拌をなしにして攪拌機を2回入れたり、時間も極端に長くしたり…。
殺青機から降ろした後に通常ならすぐ揉捻機にかけるのだが、その間に少し工夫をいれたり…条件をかえて色々試しているのは一緒に作業をしていてすぐに気が付いた。
このように大胆に作り方を変えたのだが製品となったもので失敗したものはやはりない。
あくまでのティーパックの市場に出た時に満点が獲れるレベルをキープした上でかなり実験していたのが後から分析してみるとわかった。
末端のものとして適当に作ってしまってもそれはそれで商品になりえるし、そのような方の方が遥かに多く、うちの農家のようにそこを生かして自分達で勉強する機会を作っている農家は珍しい。
改めて感心したのと同時に、物事の意味を一般論ではなく多角的に客観的に見て判断し、生かすことの重要性、その積み重ねの大切さを知らされました。