今日は台湾旧暦の大晦日。
明日からまた1年が始まるという事で自分にとっての2011年を振り返る。
~普段から当ブログを応援し目を通して下さっている方へ~
今日は完全な独り言で、単純に自分の中の記憶をとつぶやきを文章に留めておく為だけのブログです。
茶に関しての有意義な情報は特に載せていませんので貴重なお時間はご自身の為にお使い頂ければと思います。
決して公私混同している訳ではないのでまた明日から応援宜しくお願いします♪
2011年を振り返って
正直、人生でこれだけ打ちのめされた気持ちになったのは初めてだった。。テレビからは想像をはるかに超えた映像が流れ、同じ日本で起こっているのが信じられなかった…
被災地から離れ、被害のなかった東京にいてこう思ったのだから、現地の人の心の痛みは想像もつかない。。今まで日本の為に頑張ってきた方、頑張っていた方、これからの日本を背負っていったであろう子供たち
多くの方が亡くなり、多くの夢と涙が流れすぎたな本当に…
元々、地震前から台湾行きは決めていたが、なんとかその前に!と思って少ない日数ながらも瓦礫除去のボランティアに行く日程を作ることができた原発の影響もあり周りからは心配され反対され、台湾や海外の知り合いからは日本から避難するように何回もメールが来た…
周りのそんな態度に失望し、凄く悲しくなったのを今でも覚えている。。
心配してくれるのは有難いが、困っている人達が沢山いるのにそんなことできるわけないだろうよ…
そんな中で父親だけは
「まぁ、気をつけて行ってこい。」
と軽く一言だけかけて送り出してくれた。
父親は当時地元の消防署の署長をしていたので当たり前と言えば当たり前だが…
この一言はなんか心にしみたな。。
この人の息子でよかったと思ったのを覚えている。
この場をかりて「ありがとうございます。」と一言言っておきたい。
常々「生きる」ということは「他の人の為に何ができるか」だと思っているので、将来自分に子供が出来て同じような行動をとった時に背中を押してあげられる親父でありたいと思っている。
ボランティアの場所は宮城県の亘理町、よくテレビにも映っていた荒浜地区の建物の解体と瓦礫除去。。場所の候補地は色々あったが、個人の意思で動くのだから東京から集団でバスで行くのではなく、一人で行けて尚且つそれを受け入れてくれる自治体を調べたら亘理町にいきついた。
近くにホテルなどもなかったので寝泊りする場所はボランティアセンターの敷地内に張ってある、テントでのドミトリーだった。
実際にボランティアに行って驚いたのは年配の方が多いことだった。
特に既に定年退職をされた方…理由を聞いても
「暇だから」とか「今まで人の役に立ってこなかったからさー」と笑いながら言っている。。
本音は誰も言わない、でも皆わかってる…
世代を越えて同じ気持ちで一緒に作業できたことを何より嬉しく思う。
被災地は想像以上だった
海岸から2~3㎞離れた場所でも海岸の砂が5~10㎝もつもり悪臭が漂う、庭に自動販売機や持ち主のわからない車が流れ着き、ガラスの破片が特に多かった…。
家の壁を見れば1階の一番上まで水が来た痕が残っていた
これは生きている方が奇跡だと思った…
自分が出来た事は少ないが、少しの手伝いでも被災地が1秒でも0.1秒でも早く元の状態に戻ってくれたら嬉しく思う
ボランティアを終えて台湾へ…
台湾へ入り、すぐに東方美人作りに。。
作業自体目新しい事はないのだがやはり体が台湾仕様になるまでに時間がかかった…
過去3年通いつめたが結局1年を通して畑に出て土を触り、製茶をし違いを把握していかないとしょうがない!という結論にたどりついた。恐らくそこまでしてもわからないことの方が多いだろう…
茶というものは農作物であるから、製茶以前にまず畑や土をしっかり見ていかないと始まらない。
多くの方が製茶師の技術や製法に注目するが、生葉がいい状態でなければ元も子もない。
そもそも茶の特性を理解し、それに沿った畑作りをし、いい生葉を育てている人なら製茶技術も高くて当然である。
日本茶は日本人にとって地元のことなので畑に関して多くの方が関心を持っているが、台湾茶が日本に入る場合「輸入」となるのでそこまで見つめている人は少ない。
ただ、このような方を否定する気は更々ない、商売をするにあたって個人の考え方は尊重すべきであるし人それぞれ、長い時間現地に居られないのは当たり前であるから。
そうしたくても出来ない人がいるのも勿論わかっている
商売を始めるには遠回りになるし、将来お客さんを前にして畑の話をすることも殆どないと思うが、茶を理解するにあたって自分では正しい道を選んだと思う
何より教科書の文字だけで学べる知識より自分で実際に現場経験から体に染み込ませ学んだ知識は意味合いと価値が全く違う
農家からも
「土作りから作業を通して勉強してくれるのは自分達としてもうれしい、ありがとう」と言われた。
こちらこそ感謝の気持ちでいっぱいである。
この現地で学んだ知識や現地情報は自分だけの中にしまいこんでも仕方がないし、台湾茶をはじめ多くの方が茶に興味を持ってくれるようにブログで公開を始めた
そんな中で一つ事件があった…
知り合いのお茶屋さんの話であるが、そこの常連さんが知り合いのところにきて
「うさんくさいブログがあるんだけど…」
と言って見せてくれたのが「台湾茶日録」だったそうだ、この話を聞いた時はさすがに笑った。
その話を農家にしたらやはり大爆笑だった。
日本に出回る台湾茶の話には多くの間違った点も存在する。
僕のいう事が全てだとは思わない、考え方や見方も様々だから。
ただし、一貫した考えに基づき、全ての作業や工程に対して矛盾がないのが大前提である。
台湾国内でも日本でも作り話や売る為の言い訳をそのまま流したような情報がとても多い。これによって最終的にお客さんが損をしてしまうのは大問題だ。
僕は農家で勉強をし、色々な背景や考えを聞き、今出回っている情報が間違っていたり矛盾があれば伝えるように心がけている。
ブログも出来るだけ毎日更新し、日々の記録だけではなく、その中からちょっとした知識を学べたりできるようにしている。
これだけストレートに現地から情報が流れたら…
今まで日本で聞いていた情報とは違うことが多いし、その数の方が世の中圧倒的に多いので「うさんくさい」と思われても仕方がないなと思った。
ただ、そう思ってもらえたことは…逆にうさんくさいと言われた方が気づき始めている証拠でもある。
幸いにも中国茶や台湾茶に関わる先輩方や日本茶関係の方、そして茶を本当に愛している方から少しずつ評価して頂けるようになってきた。
そのつながりで知り合いも沢山できた1年だった、本当に皆様に感謝します。
畑での作業は本当に大変な年に当たってしまった…
天候不順で量は半減、天気が農歴とまったく違う動きをしていたので畑の作業もうまく進まない但しこのような年は考え、試行錯誤していかないといけないので逆に多くのことは学べたとは思う。。そして気温、湿度共に高い中でよく1日も畑の作業を休むことなく続けられたと自分でも思う、倒れなかったのが奇跡だと言われたが今考えればまったくその通りだ家族で見るには広すぎる畑でしかも無農薬、それを2人だけで見ること自体かなり無理がある。
夏場は全ての畑の雑草をとるのに2週間以上はかかるのに、綺麗にした畑は10日程で元の雑草だらけの畑に戻る…
加えて天候不良、暑さもありイライラもつのりお互い言い合いになることもあった逆にそういう事があってお互いを理解しあえる部分もあった。結局最終的に良いお茶を作りたいという気持ちは一緒なので、ちょっとした事があっても何ら問題はなかった。元々お茶を勉強したり見学にくるお客さんが多い家で、客としてではなく家族として受け入れてくれていることに本当に感謝したい。
そして「正しい台湾茶の情報を伝えてほしい」と言われているので、なるだけ早くその期待には応えたい。
製茶量は減産だったがその中でいくつもの良品が生まれた。
一通りのお茶を見れたので、休閑期にそれを整理し、春からはもっと細かい部分まで見ていけるようになれたらと思う。
台湾に通い、住み続けて4年が経つ。
何か変わった?と聞かれれば…
茶に関しての知識と造詣は深くなったのは間違いない。しかしまだまだ知識不足だ…
自分自身が変わったかと聞かれたら恐らくかわっていない。
旅をしたり、現地で暮らしたり、異文化や新しい事に触れたり発見したりその中にいることで自分が変わったと勘違いすることは多い…だたそれは余韻に浸っているにすぎない。
大事な事は余韻に浸ることではなく、現地で知りえた情報や発見、感動、真実を多くの人に伝えること。
その情熱を絶やさないこと。
日々のブログは相当な体力がいるが、これからもマイペースで頑張っていこうと思う。
なんとなく2011年を振り返って。。
さて、明日からも頑張りまっせー。
4 comments
ひすい says:
1月 24, 2012
こんばんは!!
2011年は、お茶にとって大変な年でしたね。
2012年は良い年になると信じています。
ちなみに、「うさんくさい、、」事件
、、、すみません。ウチが出所です。
もう少し詳細にお話しますと、
「陳年茶」のことについて、取り上げていたブログのことなのです。
まあ、つまり、みんなが聞きたいのは
「どうやったら、本物の陳年茶を入手できるか」ってこと、、なのです。
、、、、、そのことは詳しく書かれていなかったので、、、、。
これについて、私の個人的な答えは「茶農家で手に入れる」が一番の正解で、
茶農家は「出来の良かった年」「実験的に作ってみた」「思い入れがある」等の理由で、
極まれに「何年も前に作ったお茶」を大事に取ってある場合があります。
当然、ぜんぜん持っていない場合も有ります。(むしろ普通)
これを譲ってもらうのが一番正当な「陳年茶」の入手経路なのです。
台北の茶商を廻ると、怪しげな陳年茶が、、、。
話を聞くたびに年数が変わったり、生産地がそのつど違っていたり、、、。
お茶の品種がはっきりしない、とか。
そのほとんどが、ひどく焦げ臭い焙煎がかかっていて、
まさに「うさんくさい」。
入手経路のはっきりしない「陳年茶」を見抜くのは大変難しい。
そもそも「陳年茶」は、みんなが皆、美味しいと感じる味でないし、
物によって同じ年数でも、飲み口や水色もかなり違うのです。
ゆえに難しい。
「陳年茶」に絶対、、、は無いのですが、いくつかポイントが。
茶葉の色、真っ黒けで触ると手が黒くなるようなのはアウト。
お茶の水色、ひどく色が濃く濁っていたらアウト。
トップノートが強い焙じ臭で、強い渋みや苦味を感じたらアウト。
あ、あと、飲み口に酸味を感じるやつ、アウト。
あくまで個人的にアウトなので、、、、参考までに、、、。
経験では、陳5~7年位で丁寧な焙煎管理されていたものが
一番飲みやすくて美味しいと思います。
まあ、この年数ですと「陳年茶」なのか
微妙な年数、、、なのですが、、、、、。
長々と書いてしまって、すいません。
ご意見、お願いいたします。
店主 says:
1月 24, 2012
コメントありがとうございます^^
解答しますね。
茶葉の色、真っ黒けで触ると手が黒くなるようなもの。
お茶の水色、ひどく色が濃く濁っているもの。
トップノートが強い焙じ臭で、強い渋みや苦味を感じるもの。
飲み口に酸味を感じるもの。
>>「陳年茶」に対して上げて下さったポイントですが、これは陳年茶ではなく全てのお茶で出てはいけないものでそもそも陳年茶の判断基準以前にお茶としてアウトだと思います。。
補足ですが手が黒くなるようなものは勿論アウトですが、茶葉の色が真っ黒なものは存在します。
鉄観音などは特に重焙煎をかけますから、その時点から何年かおきに焙煎をいれ陳年茶となりますので、一概に色が黒いだけで判断するのは間違っています。
1月10日のブログ「台湾人は陳年老茶をどう選ぶか!?」に、以前老茶の比賽があった際に評茶員として参加していた方が特等奨を獲った方から二煎分だけ頂いたものを写真で取り上げているのでご覧下さい。
「陳年茶」は、みんなが皆、美味しいと感じる味でないし、物によって同じ年数でも、飲み口や水色もかなり違うのです。
>>この件に関してですが、飲み口や水色は違いがあって当然ですね。元々出来上がった時点で全てのお茶の個性は違いますし、陳年にするとしても保存場所の温度や湿度、焙煎の温度や回数、茶師の技術も違いますから全てのお茶で違いはあると思います。
経験では、陳5~7年位で丁寧な焙煎管理されていたものが一番飲みやすくて美味しいと思います。この年数ですと「陳年茶」なのか微妙な年数なのですが、、、、、。
>>この意見はとてもよくわかります^^
何年も寝かせたものを陳年という定義からすれば間違ってはいませんし、そう表記しても間違っていないと思います。
ここはとても曖昧な部分で明確な線引きもありませんから人それぞれになりますがあくまで店主の意見・考えです。
5~7年の陳年茶、これは出来が良いものをちゃんと保存しておいたものなら美味しいでしょう。ひすい様の言うこれは品種の香り、味、特性を陳年という中に追い求めていますよね?
僕の中ではこの部類のお茶は陳年というより熟成茶だと考えています。
僕が台湾現地にいて感じた陳年(老茶と明記した方が正確かもしれません)は、熟成を通りこしたものです。既に品種特徴の味、香りは消え去り、全品種に共通する烏龍の僅かな味と歳月を重ねた独特の風味です。
ですから、陳年というものに既存の品種特性や香り、味を求めませんし、台湾の方も買う際に品種に拘る方は殆どみかけません。
お茶へ求めるもの、楽しみ方が根本的に違うものと考えた方がいいかと思います。
既存のお茶は味、香り、品種特性。少し寝かせたものならそこに熟成を味わい。僕が定義している老茶というのはその生い立ちを含めた歳月とそれによって生まれる風味を楽しむもの。
今出来たお茶と同じように美味しい、不味いの世界感だけで片付けるものではないように感じています。
全てのお茶を比較するラインを一定にひくのではなく、そのお茶に対して「何を楽しむものなのか」から入ると違った側面も見えると思いますよ。
「どうやったら、本物の陳年茶を入手できるか」
>>この質問に関してですが、1月9日の「本物の陳年老茶飲んでますか?」にて個人で買う場合についての事について少し触れているのでまずそちらをお読み下さい。
読んで頂いたものとして話を進めますが、書いてある通り一般の方が確実に100%本物の良いものを買える可能性は低いと思います。
老茶というのは幾らでも誤魔化しがききます、年数が経ったものを1~2年サバを読んでも絶対にわからないでしょう。
おっしゃる通り農家にて求めるのは可能性は若干あがりますが、高いレベルのものを求めるなら容易には見つかりません。お茶屋として取引にいってお金を積み上げてもそれは変わらないと思います。運が悪ければいいカモにされて終わりです。
もし20年寝かせたお茶ならそれは農家にとっても特別なものです。
取引先だから、お客さんだから、お金を積み上げられたから…では成り経つものではなく、台湾人にとってもっと大切なものがあり、それは台湾人の本質を表しているものでもあります。
そこを理解していない限り、このような難しいお茶を仕入れるのは難しいでしょう。
以上、解答としてはこんなところでしょうか^^
ひすい says:
1月 26, 2012
店主さんこんばんは!
ひすいです。
とても詳しい回答ありがとうございます。
店主さんの、陳年茶に対する思いがすごく伝わってきました。
良い陳年茶って、なかなか手に入らないと思っていたら、
やはり、入手の難しいものなのですね。
改めて実感しました。
1/10のブログも、再度拝見させていただきました。
このときの木柵鉄観音特等陳20年茶
20年物なのに、この穏やかな水色
すごく、うらやましいです。
どんな感じのお茶だったかだけでも、
良かったら聞かせてください。
店主 says:
1月 29, 2012
返答が遅れ申し訳ありません。
この時のお茶をどんな感じだったのか…お茶屋としてこのような回答は自分でもどうかと思いますが、今でもはっきりと覚えてます。
店主(私)は飲んだ瞬間に「もう意味がわからないね…」と感想を述べ、一緒に畑の仕事をしている相方は「さすがというか、凄いとしかいいようがないね…」と言ったのみでした。
ただただ「深くて優しい」という印象で主張しない心地よさが口の中にあり、これは旨い不味いやお茶がどうこうとかの理論では収まらない完全に別次元のものだなと思いました^^;
ちなみに写真に写した茶葉は既に20回程煎を重ねたものですが、鉄観音はもともと重焙煎、それに何年かおきに焙煎を入れていったものなので、既に葉の繊維が完全に死んでおり開く茶葉は1枚もありませんでした。
そしてこんなものは恐らくもう一生飲めないだろうと思い、次の日も前日の茶葉を使い続きを淹れましたが、味はしっかりと持っていました。