ここ2日間程、大先生と畑での刈り取り、そして製茶までを手掛けている。
ほぼお茶は引退しているのでこのような機会というのは数える程しかなく、いつも貴重な時間となっている。
その大先生と昨日の夕方に刈り取った少量の青心大有があるのだが、これが疑問を持つものだった。
撹拌、殺青としていき、香りもよく、そこそこいいものが出来たので、今日の製茶の合間をぬって茶葉を整形していたりした。
一応一通り終わったのでテイスティングをしてみると、清香系で後口に甘みがあり、渋さもなく良い出来だなと素直に思った。
しかし、水色に若干の濁りがある。
濁りといっても大げさなものではなく、ん~透き通ってはないかな?というぐらいのものだ。
僕は大先生の清香系の烏龍を幾度となく飲んできたがこれまでにこのような事はなかった。
何故これでOKなのかという事を色々と考える…
昨晩の殺青作業で気になっていた点が一つある。
僕は大先生と作業をするしないにかかわらず、だいたい殺青と揉捻があると殺青の方を担当する。
その殺青から降ろすタイミングが僕が判断するタイミングよりだいぶ早いな…と感じていた。
僕個人としては、あまりに早すぎるので殺青不良になりかねないと思い大先生にもそれを伝えたのだが、大丈夫だからそれで降ろしてと言われた…。。
思えば大先生は清香系の烏龍はあまり好まない。
やはり焙煎の効いたものが好きで、よく自分の飲みたいものを焙煎にかけている姿を見る。
恐らく昨日作った青心大有は後々焙煎するのではないのか…という事が頭に浮かんだ。
昨晩の殺青はそこまで見越してのものだったのではないのかな?と。。
そして、自分が何か難しい領域に入ってしまっている事に気づく。。
今回の答えはなんとなく見えているのだが、ここ最近こうしたことがよくある。
色々と見えるようになってきて、その意図を考えたり、新しい発見があり、それを今までの経験から紐解いて答えを推測していったり…
難しい事が多いのだが推測できることが多くなってきた。
そして解決すればやはり楽しいし、その奥をまた一歩踏み込んで覗いてみたくなる。
ただ、一つ解決するとまた一つ疑問が出て…の繰り返しが多い。
でも、お茶って結局そういうものなんだろうと思う、恐らくお茶の全てをわかる事は不可能に近いし、でもそれだから面白く魅力的なのかもしれない。