最近日本茶の世界でも萎凋香が注目され始め台湾茶を始めとする烏龍茶の製法が注目されたりする。

また和紅茶というものを作る方が増えた為、その言葉は茶業関係者のみならずお茶好きの方にも浸透しつつあるような気がする。

ただ、まだまだ情報が足りていないような気もするので今日はそこに少しだけ触れてみようと思います。

冬片の萎凋

台湾茶、冬片の萎凋風景

何故製茶のないこの時期にこの話をするのかというと…
なんとなく日本で萎凋香や台湾茶のような発酵茶を追い求めている人が難しく考えすぎてしまっているように思えたからです。
勿論シンプルに理解している方もいると思います。

こんな題材を取り上げると「知ったふりして…」とか言われそうですが…。僕は
「あなた一人で美味しい烏龍茶できるの?」と言われたら「完璧なものはできませんよ。」と答えます。

一人の日本茶を愛する者として、萎凋香やその他新しいこと、既存の事に変化を加えこれからの日本茶を創造しようとしている方を応援しているので少しでも参考になればと思い台湾茶の現場にて感じたことを書かせてもらいます。

まず、萎凋香を出したい!出しました!出す為に…と言われる方がいますが…
そもそも烏龍茶で考えた場合、萎凋香というものは工程の際に「出す」ものではなく自然に「出るもの」です。

ですからそこをシンプルにとらえた方がいいような気がします。
日本茶では今のような送風機の完備されたコンテナがない時代に、茶葉が積み上げられていたという話を知り合いの方に聞きました。
この状況だと、葉が蒸れてしまうので、このムレ臭が長年萎凋香が嫌われてきた原因の一つであると考えられますが…

では、どうしたらムレることなく萎凋香がでるのか。
ここは積み上げすぎるとムレが出るという点から簡単に解決すると思いますから、その上で気温や湿度を見ていき、どのような状況、量で作業を進めれば適しているのか試行錯誤すれば早いのではと思います。
突き詰めれば季節や品種などで香りの立ち方や萎凋のスピードは変わりますが、根本として萎凋香に関してもっとシンプルに考えた方がいいように思います。

そして烏龍茶の工程を考える時に、萎凋や攪拌という日本では使わない技術が入ったり、葉内発酵を進めるという日本の煎茶などとは対極の方向へ進むので特殊な技術だとか奥が深いと思いがちです。

確かに細かく見れば多くの技術は必要とします、ただここも考えとしてはとてもシンプルだと思います。
この特殊な技術や工程を通して人間が完全に茶葉をコントロールしていると思いがちですが、「お茶」として捉えると難しくなってしまいます。

そもそも植物というものは刈り取られればそこから「枯れる(もしくは腐る)」という方向に進みます。
刈り取った直後から枯れる状態に行くまでには様々な変化があるのは容易に想像できます。
まず葉内の水分が抜け、成分も変化するでしょう、最近わかってきたことで刈り取り直後は防御作用も働いたりします…

僕が現場にいて感じたのは…
烏龍茶というのは植物として茶葉が自然に変化していく工程を利用し、その中で人間が決めた終着点へ向かう為に少しだけ変化や工程を微調整しているものと考えた方がわかりやすいということ。

人間が作るお茶(製品)として烏龍茶やその工程を真正面から見てしまうと迷路に入ってしまうことが多いのですが立ち位置を変えて植物側から見ると特殊というより極めて自然な流れにそっているように見えます。

また萎凋や攪拌を考える際にも、視点を変えるととても理解がしやすくなります。
茶葉を人間に置き換えるとよくわかります。
萎凋や攪拌や静置などは人間に例えたらどういうことか。

同じような工程や動きを室外や室内で人間が水分をとらずに行った時に体にどんな変化が起きどこへ向かうのか、とてもシンプルに理解することができます。

同時に青殺から逆算してその意味を考えていくと工程の意図もなんとなく理解が出来てくると思います。

烏龍茶の工程として大きく捉えてしまうと技術や天候、色々な要素を含めて一緒に考えてしまいわかりにくくなります。

まずシンプルに成り立ちだけを理解し、結果(製品)から逆算し、そこへ辿りつくためにどのような変化が必要でそれを起こすにはどんな工程(技術)が必要とされるのか、そしてそれを進めるにあたって外的要因(天気、温度、湿度など…)はどのような状態が好ましいのか見ていくと烏龍茶の成り立ちがよくわかるような気がします。

僕自身、烏龍茶の100のうち1も理解していないと思っているので説明が足りない部分もあるとは思いますが…
烏龍茶を勉強したり、日本茶や和紅茶と呼ばれるものに烏龍茶の要素を取り入れようとしている人の為にほんの少しでも参考になれば嬉しく思います。

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