本日台湾へ戻りました。

8月末か9月初めには日本へ完全帰国予定なので最後の一か月となるでしょうか。。

と言っても今後もちょくちょく台湾へはくることになりましが、農家での生活は残り僅かです。

静岡の茶畑

実家の近くの茶畑、ここは管理されていますが、近くには放置された畑も…

台湾でパソコンに向かっていますが何故か地元静岡でのことを思い出したのでその話題を。。

実家に滞在し、高校時代の友人と卒業以来初めて会い食事をして話をした。
久しぶりなので、高校卒業後の事や仕事や家のことなど色々と話題はつきないのだが、お茶の話をしている際に
「うちの茶畑もう刈り取ってないから採っていいよ」
と言われた。

元々茶農家専門ではないが、家に畑があり、その中で茶畑もあるという。
恐らく僕の家の周りで昔はこのような家が多かったのではと思う。

友人曰く、家に製茶機は勿論なく、刈り取って工場などにもっていって仕上げてもらうという。
その値段も高いので今は刈り取りさえしていないと…

勝手に刈り取っていいよ!と言われたら、嬉しい気持ちはある。
色々と勉強するのにはとても良い環境である。
しかし、なんとなく淋しさを感じる。

恐らく僕が生まれた三十数年前ならお茶は作ればそれなりにお金にはなった筈だ。
しかし時が過ぎ、今では作っても赤字になる。
その結果、見放されそのまま管理されない畑というのはどんどん増えている。
実家の家の周りでも後継者がいなかったり、値段の問題でそのようなところは多くある筈だ。

勿論、それなりのお茶しか作ってこなかったからこのような現状になっている部分もある。
でも、世の中良いお茶だけになるということも考えられない。
市場は色々とあり、お客さんもお茶が好きで拘る方やただ口に入ればよいという人もいる。

このように見放されていく茶園で極上のものを作っていくのは難しいことだが、体験や他の形でなんとか生かす方法はないのかと思ってしまった。

自分に資金力があれば色々と選択肢が出来るかもしれないがそうでもないので、出来ることは限られる。
このことはいつも自分の心の中にあり、考える度にもどかしい気持ちになる。。

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