オリエンタリズム ジャパンの始まり

「信頼なくして生命なし」

この言葉は台湾の師から頂いた大事な言葉であり、私が仕事をする上で常に心に留めている言葉です。

 

ネットの発達や、近年の日本茶・台湾茶・中国茶ブームにより、多くの店舗・茶館・教室が出来ました。しかし、そのブームに乗って誇大広告をする業者や、卸業者が商品を売る為に吹き込んだ間違った情報が後を絶ちません。

私が現在暮らしている台湾でも、多くの日本人観光客や茶芸教室の先生方、現地の方までも、香料の付いた茶葉 や 外国産の茶葉を台湾産として誤って仕入れてしまう現状や、農家に相談に来る消費者の方々を目にしてきました。

 

オリエンタリズムについて

 

土を踏んでこそ得られるもの

お茶というものはとても奥が深く、売る側にも深い専門性と知識が求められます。
例えば、台湾の平地で作られる烏龍茶で言えば一般的に 春茶>冬茶>秋茶>夏茶 という順序をよく耳にしますが、これは一般論、教科書通りの情報であり品種や地域によっては全くあてはまりません。

このような専門的な情報は台湾の農家に住み込み、毎日畑に出て汗を流し1年を通して生葉や土の状況、製茶まで実際に行っている店主だから伝えられる生の言葉です。


日本でも真面目にお茶に向き合い、正直に商売をされている方を存じています。
その方々をリスペクトしつつ、初心者の方からお茶好きの方々がもう一歩知識を深めていく為に軸になり、信頼され、サポートできる店舗が必要だと思い、オリエンタリズムジャパンを建ち上げました。
2011年現在、台湾在中の為、定番の品種の逸品とマーケットには出ない品種等がメインになりますが、茶の逸品は誰が口にしてもおいしいものです。
日本茶、台湾茶、中国茶、紅茶。私の中に垣根はありません。当店に見合うものが見つかれば随時紹介していきます。

 

一杯の「美味しいお茶」は笑顔と安らぎを生み、そこに居る人々の心を繋いでいきます。
その茶縁が広がる中にいつも当店のお茶があれば幸せです。

 

 

オリエンタリズム ジャパン

店主 渡辺 拓哉

 

店主について

渡辺 拓哉(Takuya Watanabe) 

   ・日本茶インストラクター協会/日本茶インストラクター

   ・メディカルハーブ協会/メディカルハーブコーディネーター

 

静岡に生まれ、幼少の頃からお茶のある生活を過ごす。
高校卒業後、東京の大学に進学。
上京して初めて自分にとってお茶が特別なものだと気付く。

 


きっかけは東京で飲んだ一杯のお茶。

実家で飲んでいた緑茶とは かけ離れたその味に戸惑い、静岡の味を求めて東京のお茶屋巡りが始まりました。
それと同時に烏龍茶や紅茶も追いかけ始める。


大学を卒業し、社会人になる頃には自分の中で日本茶の問題はある程度解決。
しかし、烏龍茶だけは「本当にこんな味??」という疑問が常に付きまとう。

今、振り返ってみると自分のお茶を出す技術も足りなかったのかもしれません。。

静岡茶畑

                  【静岡の茶畑 】

本当の味を求めて

2007年、「お茶の旅」に出る為に勤めていた会社を退職、フリーターに。
同年5月、バックパックを背負い一人台湾へ旅立つ。
台北縣、桃園縣、新竹縣、南投縣、台東縣などのお茶農家を巡り、本当の味を知る。


同時に今の師に出会い、自分のお茶に対する考え、情熱を伝え初対面で10時間話し込む。
その場で「2~3日の体験ではなく住み込みで勉強をさせて下さい」 

とお願いし、師より

「それだけお茶に愛情があるのなら隠すものはないからうちで勉強しなさい、

 そして本当の烏龍茶を日本に伝えて下さい」 という言葉を頂く。


それ以来2010年まで、年に2回、東方美人の季節と冬茶の季節に各一ヶ月を台湾の農家で過ごし、日本にいる時はバイトを続け、日本の農家も廻る。


その中で、日本のお茶農家の「新茶(1番茶)に比重を置きすぎてきた為、その後のお茶が叩かれ値がつかない」という現状を目の当たりにする。

同時に、香気成分のある緑茶や日本の品種での烏龍茶や紅茶作りに挑戦する人の存在を知る。


2011年5月出発、そして現在へ

製茶や焙煎技術は勿論、萎凋(イチョウ)をかけた緑茶、発酵をかけた烏龍茶・紅茶の技術を学び、無農薬での畑の管理を1年の周期で学び、将来的に日本の農家と新しい趣向の日本茶を模索していきたいと思い台湾へ移住。
現在、師の息子さんと二人で畑の管理と製茶に勤しむ。

 

店主について